国慶節連休でどこでも混んでいる中、ウラジオストク(ロシア)の帰りで北京経由でしたので、10/5夜、北京大興国際空港に到着し、高速鉄道で北京西駅へ移動し、近くのホテルで宿泊しました。北京から成都の飛行機は10/7夕方にしましたので、ほぼ二日間の時間がありました。天津はまだ行ったことがなかったので、10/6に日帰りで天津の町を歩くことにしました。
天津は北京の南東約130kmに位置し、中国北方最大の対外開放港です。近代、9カ国の租界(清後半諸々不平等条約による外国人居留地)が存在したことがあって、いろんな特色ある建物が天津にあります。
高速鉄道7:40北京西-9:24天津
天津駅→津湾広場→イタリア街(意式風情区)→梁啓超旧居→北安橋→張学良故居→瓷房子→西開教堂→西北角→鼓楼→古文化街→天津之眼→天津西站
高速鉄道(帰り)19:39天津西-20:50北京西
イタリア街は駅から徒歩10分ぐらいのところ、以前のイタリア租界を再開発したエリア。欧州建築が200棟あまり集まっている。国慶節期間だけなのか、屋台がたくさん。正直写真を撮るのが大変。
イタリア街の中にある建物は梁啓超の旧居です。梁啓超は清末民初の革命家、政治家、思想家、歴史学者、文学家で、戊戌の変法を指導し、弾圧されて日本に亡命したこともあります。本人がとても有名で、そして教育も成功し、子女たち全員が立派です(建築家・建築史学者の梁思成は長男、考古学者の梁思永は次男)。
張学良は清末東北軍閥張作霖の息子で、張作霖が日本軍よる爆殺事件の後、西安で蒋介石を監禁し、国共合作の立役者です。
あんまりにも人が多くて、中に入るのをやめました。
瓷房子「チャイナ・ハウス」は元々フランス風建物で、2002年に個人より買い取られて、磁器の古董品で舗装されたもの。瓷房子は、内部から外部まで、4000点以上の古瓷器、400点以上の白玉石の彫刻、7億点以上の古い瓷片、13000点以上の古い瓷皿や碗、300点以上の瓷猫枕、300点以上の白玉の唐宋時代の石獅子、300体以上の歴代の石彫像、20トン以上の水晶石と瑪瑙を使用しています。建物に埋め込まれた7億点以上の瓷片は、さまざまな歴史的時代を網羅しており、中に国によって売買禁止されているものもあります。賛否両論の建物ですが、中に見た目かなりインパクトがあって、人も多すぎて、中に入っていません。
隣の公園で少し休憩したら、地下鉄で移動しました。
西開教堂(西開天主教堂)は旧フランス租界に位置し、1913年に建てられた天津市で最大のロマネスク様式聖堂。
ここで、私の計画では「万国建築博覧館」と呼ばれる五大道エリアに行く予定でしたが、同伴者はどうしても「ガンダムベースサテライト天津」へ行きたいと、私が事前に渡したプランを無視して、そしてたまたま五大道だけを忘れていました。私も確認せず…もうムカつく!ガンダム(正直に言ってネットで買うと大差がない)を買って次向かうのは西北角。
西北角は本場の天津式朝食が集まるエリア。連休なので、午前中に朝食エリアに来たら地獄モードだと思って、あえて遅めの午後にしました。それでもにぎやか、まさに炭水化物の天国。
お腹いっぱいになって、自転車で鼓楼へ向かいます。昔城の中心エリア、今は観光商業エリア。
さらに歩いて10分は古文化街。清代の民間の建築様式を模した商店街で名物料理や手工芸品が売っています。
「天津アイ」観覧車は天津の目という意味で、今はまさにランドマークの存在。世界で唯一の橋と一体化された観覧車。観覧車の直径は110メートル、360度の透明な席が48つあります。正直に言うと、現在の中国ではあんまり観覧車に乗るイメージがないのですが、ここは特別、チケットが買えないほど人気です。デザインがシンプルで時代が変わっても愛されているなと思いました。
最後は自転車で天津西駅へ向かいました。なぜか駅の外は灯りがついていません。しかも駅構内の待合室へ行くまで保安検査だけがあって、チケットのチェックがありませんでした。(ほかの都市の駅は基本、駅に入るときはチケット、そして乗車前の改札口でもチケットですが、不思議…)
そんな感じのゆるめの天津旅行でした。ちょうどロシアのウラジオストクの帰りということもあって、なかなか人混みに慣れなませんでしたが、洋式建物が結構見て満足しました。